第七回その②「板橋区の障害者施策の大問題 ~誰にとっても住みやすい街を目指して~」(後半)~トークサロン~

テーマ:「板橋区の障害者施策の大問題 ~誰にとっても住みやすい街を目指して~」(後半) #障害者施策 #就労支援 #精神障害 #ひきこもり #8050問題 #重度障害 #板橋区 ①特別支援教育 ・特別な教育的支援が必要な子供は6.5%程度 ・板橋区立小中学校STEP UP教室(特別支援教室) ②支援センター(相談) ・子ども発達支援センター(小茂根)※15歳以上対象 ・障がい者福祉センター(地域活動支援センター)(高島平) →旧保健所跡地(障害者団体から)総合支援センター設立を要望 ③地域生活支援拠点 ・グループホーム(都福保局板橋キャンパス内に整備予定 ※他にも短所入所、児童発達支援、相談支援) ・区立福祉園の民営化(6年後?)→重度障害者の受入れ先に懸念の声 ・強度行動障害 ・重度知的障害 ④就労支援 ・板橋区障がい者活躍推進計画(地方公共団体の法定雇用率 来年より2.6%に) ・S社との協定締結(自立支援、社会参加促進?) ・就労移行支援、就労継続支援A型、B型 ・B型作業所 平均工賃月16,000円 →「福祉的な依存型から自立・向上型へ」 ・精神障害者の増加 ・引きこもり対策 […]

第七回その①「板橋区の障害者施策の大問題 ~誰にとっても住みやすい街を目指して~」(前半)~トークサロン~

テーマ:「板橋区の障害者施策の大問題 ~誰にとっても住みやすい街を目指して~」(前半) #障害者施策 #特別支援教育 #STEPUP教室 #発達支援センター #グループホーム #福祉園民営化 #板橋区 ①特別支援教育 ・特別な教育的支援が必要な子供は6.5%程度 ・板橋区立小中学校STEP UP教室(特別支援教室) ②支援センター(相談) ・子ども発達支援センター(小茂根)※15歳以上対象 ・障がい者福祉センター(地域活動支援センター)(高島平) →旧保健所跡地(障害者団体から)総合支援センター設立を要望 ③地域生活支援拠点 ・グループホーム(都福保局板橋キャンパス内に整備予定 ※他にも短所入所、児童発達支援、相談支援) ・区立福祉園の民営化(6年後?)→重度障害者の受入れ先に懸念の声 ・強度行動障害 ・重度知的障害 ④就労支援 ・板橋区障がい者活躍推進計画(地方公共団体の法定雇用率 来年より2.6%に) ・S社との協定締結(自立支援、社会参加促進?) ・就労移行支援、就労継続支援A型、B型 ・B型作業所 平均工賃月16,000円 →「福祉的な依存型から自立・向上型へ」 ・精神障害者の […]

第五回 ~街歩き編③~ 高島平を水害から守る朝霞水門

テーマ:「高島平の大問題 ~荒川が氾濫?、高島平グランドデザインで生まれ変わる街~」 #高島平 #朝霞水門 #高島平グランドデザイン #荒川氾濫 #荒川調節池 #UDCTak高島平 ①「高島平の歴史」 荒川・新河岸川の右岸(南岸)の地区で、かつては徳丸ヶ原と呼ばれる後背湿地で、徳川幕府の天領、鷹狩場として、また幕末には高島秋帆による砲撃訓練場として使われたことで有名。昭和初期までは稲作が盛んで、都内の米生産の7割が、ここ徳丸田んぼ・赤塚田んぼから生産されていました。 その後、都市化が進む中、昭和40年代には、日本住宅公団(現 UR都市再生機構)による土地区画整理事業が始まり、昭和43年には都営地下鉄6号線(三田線)が開通、47年には、当時「東洋一のマンモス団地」と言われた高島平団地が誕生しました。 現在も、2,3丁目の団地には、8,287戸の賃貸、1,883戸の分譲、合わせて10,170戸の住宅に約16,000人、高島平全体では約50,000人が生活をしています。※ちなみに選手村の跡地に予定されている晴海フラッグは、約5,600戸の住宅が建設予定ですので、高島平団地はその約2倍。 ②「 […]

第五回 ~街歩き編①~高島平グランドデザイン センターゾーン

テーマ:「高島平の大問題 ~荒川が氾濫?、高島平グランドデザインで生まれ変わる街~」 #高島平 #高島平グランドデザイン #センターゾーン #荒川氾濫 #荒川調節池 #UDCTak高島平 ①「高島平の歴史」 荒川・新河岸川の右岸(南岸)の地区で、かつては徳丸ヶ原と呼ばれる後背湿地で、徳川幕府の天領、鷹狩場として、また幕末には高島秋帆による砲撃訓練場として使われたことで有名。昭和初期までは稲作が盛んで、都内の米生産の7割が、ここ徳丸田んぼ・赤塚田んぼから生産されていました。 その後、都市化が進む中、昭和40年代には、日本住宅公団(現 UR都市再生機構)による土地区画整理事業が始まり、昭和43年には都営地下鉄6号線(三田線)が開通、47年には、当時「東洋一のマンモス団地」と言われた高島平団地が誕生しました。 現在も、2,3丁目の団地には、8,287戸の賃貸、1,883戸の分譲、合わせて10,170戸の住宅に約16,000人、高島平全体では約50,000人が生活をしています。※ちなみに選手村の跡地に予定されている晴海フラッグは、約5,600戸の住宅が建設予定ですので、高島平団地はその約2倍。 […]

第五回「高島平の大問題~荒川が氾濫?、高島平グランドデザインで生まれ変わる街~」 ~本編トークサロン~

テーマ:「高島平の大問題 ~荒川が氾濫?、高島平グランドデザインで生まれ変わる街~」 #高島平 #高島平グランドデザイン #荒川氾濫 #荒川調節池 #UDCTak高島平 #フットレスト ①「高島平の歴史」 荒川・新河岸川の右岸(南岸)の地区で、かつては徳丸ヶ原と呼ばれる後背湿地で、徳川幕府の天領、鷹狩場として、また幕末には高島秋帆による砲撃訓練場として使われたことで有名。昭和初期までは稲作が盛んで、都内の米生産の7割が、ここ徳丸田んぼ・赤塚田んぼから生産されていました。 その後、都市化が進む中、昭和40年代には、日本住宅公団(現 UR都市再生機構)による土地区画整理事業が始まり、昭和43年には都営地下鉄6号線(三田線)が開通、47年には、当時「東洋一のマンモス団地」と言われた高島平団地が誕生しました。 現在も、2,3丁目の団地には、8,287戸の賃貸、1,883戸の分譲、合わせて10,170戸の住宅に約16,000人、高島平全体では約50,000人が生活をしています。※ちなみに選手村の跡地に予定されている晴海フラッグは、約5,600戸の住宅が建設予定ですので、高島平団地はその約2倍。 […]