第五回「高島平の大問題~荒川が氾濫?、高島平グランドデザインで生まれ変わる街~」 ~本編トークサロン~

テーマ:「高島平の大問題 ~荒川が氾濫?、高島平グランドデザインで生まれ変わる街~」

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①「高島平の歴史」
荒川・新河岸川の右岸(南岸)の地区で、かつては徳丸ヶ原と呼ばれる後背湿地で、徳川幕府の天領、鷹狩場として、また幕末には高島秋帆による砲撃訓練場として使われたことで有名。昭和初期までは稲作が盛んで、都内の米生産の7割が、ここ徳丸田んぼ・赤塚田んぼから生産されていました。
その後、都市化が進む中、昭和40年代には、日本住宅公団(現 UR都市再生機構)による土地区画整理事業が始まり、昭和43年には都営地下鉄6号線(三田線)が開通、47年には、当時「東洋一のマンモス団地」と言われた高島平団地が誕生しました。
現在も、2,3丁目の団地には、8,287戸の賃貸、1,883戸の分譲、合わせて10,170戸の住宅に約16,000人、高島平全体では約50,000人が生活をしています。※ちなみに選手村の跡地に予定されている晴海フラッグは、約5,600戸の住宅が建設予定ですので、高島平団地はその約2倍。

②「荒川が氾濫?」
皆さん、現在の荒川下流部はマンメイド(人工)であるとご存じでしょうか。
かつて、荒川は北区岩淵より現在の隅田川を通り、東京湾に注いでおりました。岩淵水門より先、新しく開削された川は、昭和5年に荒川放水路として完成しました。明治43年洪水が発生、その計画が進められました。それまでは、浅草の上手にある右岸の日本堤と左岸の隅田堤(墨堤)で、川をロート状にして、下流の街を守っていました。
現在は、(昨年)令和元年の東日本台風(19号)のような大雨になった際は、板橋区より上流の第一調節池(彩湖・道満グリーンパーク 戸田市)が吸収することで、下流の増水を抑える役割を果たしています。
また平成30年からは、より上流にある第二・第三調節池の整備し、機能を高めるための囲ぎょう提と言われる調整池を囲う堤防工事を進めています。完成予定は令和12年度です。
…しかし、もしも荒川が氾濫したら、高島平はどうなるのでしょうか…

③「高島平グランドデザインで生まれ変わる街?」
新しい街ができ50年が経ち、急速な高齢化の進行や、公共施設をはじめとする建物や設備の老朽化が一気に進んだ高島平。若者世代が集い・住みたくなる魅力創造と、高齢者までを含む多様な世代が共存する新たな都市モデルをどう構築できるか、注目されています。
グランドデザインは、「全体構想」と駅周辺の「公共用地の再整備基本計画」の二部で構成されており、10年毎、3期に分け段階的に進めていきます。
第1期(平成27年度~令和7年度)
・センターゾーン(再整備地区)の整備
・高島平団地のストック活用、リニューアル
・プロムナード(散策道)の整備
・更新時期を迎えた公園の再生
第2期(令和8年度~令和17年度)
・交流核・生活核の整備
・分譲団地に関する地元発意の街づくり
・歩行者・自転車利用ネットワークの整備
第3期(令和18年度~)
・流通業務団地の再整備に合わせた再生
・駅前広場の整備、駅のバリアフリー化
・公共公益施設の健康づくりの観点からの機能の質的向上と未利用エネルギーの活用
第1期に整備予定されているセンターゾーン (再整備地区)には、旧高七小跡地、健康福祉センター、図書館、区民事務所、地域センター、区民館、児童館、旧健康福祉センター跡地と住民サービスの主要施設が集積しています。ここの再整備は民間活力を利用し令和7年度までに整備していく予定です。

〇ゲストスピーカー
・板橋区議会議員 安井一郎さん
・地域貢献会社にこ 代表
高島平ウィメンズヘルス研究所 代表
地域交流広場ぱうぜ 運営
高島平学編集委員会事務局
グランドデザイン プロムナード研究部会 委員
UDCTak高島平50周年行事実行 委員 石田ゆかりさん
〇開催日:9月9日(水)
14時~15時半(街歩き現場視察)
16時~17時(トークサロン)
〇トークサロン会場:高島平フットレスト