第三回 ~街歩き編⑤~ 上板南再開発 準備組合事務所

テーマ 「再開発ってなんでこんなに時間がかかるの? ~上板橋駅南口駅前地区再開発~」 Q.上板橋って、どんなところ? 江戸時代初期に板橋は下板橋村と上板橋村に分割。今の日大病院入口あたりから南には大谷口、向原、小茂根、江古田あたりまで。西には、弥生町、常盤台、東新町、桜川、上板橋の下練馬(現在の練馬区北町)の手前までが、上板橋でした。 旧川越街道の上板橋宿は石神井川にかかる下頭橋付近までをいうそうですので、最寄り駅は中板橋駅になりますが、東上線開業当初には、下板橋駅の次は、上板橋駅しかありませんでした。上板橋村の役場は東新町にある安養院さんの前の桜川いこいの家があるところに置かれていました。 昭和初期の川越街道の拡張工事の際に、上板橋村の飯島弥十郎村長の屋敷の樹を残すのを条件に土地を提供したということで、道路中央に「五本けやき」が今も残っています。 そんな上板橋ですが、じつは、城北地区の一大拠点ターミナル、「下北沢」あるいは「自由が丘」のようになっていたかもしれませんでした。それは、幻の「西板線」と「啓志線」・・・ いったいどんな過去が。 Q.昭和50年代からの懸案のまちづくり? 上板 […]

第三回 ~街歩き編④~ 上板南再開発 まちづくり用地

Q.上板橋って、どんなところ? 江戸時代初期に板橋は下板橋村と上板橋村に分割。今の日大病院入口あたりから南には大谷口、向原、小茂根、江古田あたりまで。西には、弥生町、常盤台、東新町、桜川、上板橋の下練馬(現在の練馬区北町)の手前までが、上板橋でした。 旧川越街道の上板橋宿は石神井川にかかる下頭橋付近までをいうそうですので、最寄り駅は中板橋駅になりますが、東上線開業当初には、下板橋駅の次は、上板橋駅しかありませんでした。上板橋村の役場は東新町にある安養院さんの前の桜川いこいの家があるところに置かれていました。 昭和初期の川越街道の拡張工事の際に、上板橋村の飯島弥十郎村長の屋敷の樹を残すのを条件に土地を提供したということで、道路中央に「五本けやき」が今も残っています。 そんな上板橋ですが、じつは、城北地区の一大拠点ターミナル、「下北沢」あるいは「自由が丘」のようになっていたかもしれませんでした。それは、幻の「西板線」と「啓志線」・・・ いったいどんな過去が。 Q.昭和50年代からの懸案のまちづくり? 上板橋駅南口に住宅公団が大規模な敷地(5200平米)を取得。まちづくりを地域で考えるきっか […]

第三回 ~街歩き編③~ 上板南再開発 道路計画予定地

テーマ 「再開発ってなんでこんなに時間がかかるの? ~上板橋駅南口駅前地区再開発~」 Q.上板橋って、どんなところ? 江戸時代初期に板橋は下板橋村と上板橋村に分割。今の日大病院入口あたりから南には大谷口、向原、小茂根、江古田あたりまで。西には、弥生町、常盤台、東新町、桜川、上板橋の下練馬(現在の練馬区北町)の手前までが、上板橋でした。 旧川越街道の上板橋宿は石神井川にかかる下頭橋付近までをいうそうですので、最寄り駅は中板橋駅になりますが、東上線開業当初には、下板橋駅の次は、上板橋駅しかありませんでした。上板橋村の役場は東新町にある安養院さんの前の桜川いこいの家があるところに置かれていました。 昭和初期の川越街道の拡張工事の際に、上板橋村の飯島弥十郎村長の屋敷の樹を残すのを条件に土地を提供したということで、道路中央に「五本けやき」が今も残っています。 そんな上板橋ですが、じつは、城北地区の一大拠点ターミナル、「下北沢」あるいは「自由が丘」のようになっていたかもしれませんでした。それは、幻の「西板線」と「啓志線」・・・ いったいどんな過去が。 Q.昭和50年代からの懸案のまちづくり? 上板 […]

第三回 ~街歩き編②~ 上板南再開発 コモディイイダ・旧川越街道

テーマ 「再開発ってなんでこんなに時間がかかるの? ~上板橋駅南口駅前地区再開発~」 Q.上板橋って、どんなところ? 江戸時代初期に板橋は下板橋村と上板橋村に分割。今の日大病院入口あたりから南には大谷口、向原、小茂根、江古田あたりまで。西には、弥生町、常盤台、東新町、桜川、上板橋の下練馬(現在の練馬区北町)の手前までが、上板橋でした。 旧川越街道の上板橋宿は石神井川にかかる下頭橋付近までをいうそうですので、最寄り駅は中板橋駅になりますが、東上線開業当初には、下板橋駅の次は、上板橋駅しかありませんでした。上板橋村の役場は東新町にある安養院さんの前の桜川いこいの家があるところに置かれていました。 昭和初期の川越街道の拡張工事の際に、上板橋村の飯島弥十郎村長の屋敷の樹を残すのを条件に土地を提供したということで、道路中央に「五本けやき」が今も残っています。 そんな上板橋ですが、じつは、城北地区の一大拠点ターミナル、「下北沢」あるいは「自由が丘」のようになっていたかもしれませんでした。それは、幻の「西板線」と「啓志線」・・・ いったいどんな過去が。 Q.昭和50年代からの懸案のまちづくり? 上板 […]

第三回 ~街歩き編①~ 上板南再開発 駅前よりスタート

テーマ 「再開発ってなんでこんなに時間がかかるの? ~上板橋駅南口駅前地区再開発~」 Q.上板橋って、どんなところ? 江戸時代初期に板橋は下板橋村と上板橋村に分割。今の日大病院入口あたりから南には大谷口、向原、小茂根、江古田あたりまで。西には、弥生町、常盤台、東新町、桜川、上板橋の下練馬(現在の練馬区北町)の手前までが、上板橋でした。 旧川越街道の上板橋宿は石神井川にかかる下頭橋付近までをいうそうですので、最寄り駅は中板橋駅になりますが、東上線開業当初には、下板橋駅の次は、上板橋駅しかありませんでした。上板橋村の役場は東新町にある安養院さんの前の桜川いこいの家があるところに置かれていました。 昭和初期の川越街道の拡張工事の際に、上板橋村の飯島弥十郎村長の屋敷の樹を残すのを条件に土地を提供したということで、道路中央に「五本けやき」が今も残っています。 そんな上板橋ですが、じつは、城北地区の一大拠点ターミナル、「下北沢」あるいは「自由が丘」のようになっていたかもしれませんでした。それは、幻の「西板線」と「啓志線」・・・ いったいどんな過去が。 Q.昭和50年代からの懸案のまちづくり? 上板 […]