東日本大震災15周年

【東日本大震災15周年】
平成23(2011)年3月11日。
あの日の光景を、決して忘れることができません。

未曾有の地震と津波により、多くの尊い命が失われ、街は一瞬にして姿を変えました。

あれから15年。
復興はどこまで進んだのか――それをこの目で確かめたいと思い、三陸(釜石・大船渡・陸前高田)を訪ねました。
街の整備は進みましたが、人口減少と産業の衰退はなかなか止められない現実はあります。

15年前、私は区議会議員でした。
震災の1か月後には統一地方選挙があり、選挙後、発災からおよそ1か月半が過ぎた5月1日から3日にかけて、区議会の仲間とともに被災地を訪れました。

土地勘のない私たちの案内役を務めてくれたのは、秘書時代の一番の親友でありました、今は亡き故・松田兼臣君でした。
彼は岩手出身の玉沢徳一郎先生(元防衛庁長官・農水大臣)の秘書を務めていました。

盛岡で合流したのは、津波で実家も流されながら、私たちを案内してくれた、同じく元議員秘書仲間の故・橋本英教さん。
のちに衆議院議員を2期務められた方です。
ご自身の地元である大船渡・陸前高田を案内してくれました。

さらに、釜石市鵜住居で合流したのが、同じく元議員秘書仲間で、元岩手県議の小野寺有一さんでした。
ご自宅も津波で流され、ご本人も仮設住宅での生活を余儀なくされていました。

被災地で目にした光景は、今でも忘れることができません。
自然の猛威の前での人間の無力さ。
そして政治に携わる者として、何ができるのか、何をしなければならないのか――深く深く考えさせられました。

あの無力感と悔しさを胸に、復旧・復興、そして減災・防災に尽くすことを誓い合いました。

しかし、その志半ばで、二人は病に倒れました。
松田兼臣君は13年前、享年41歳。
橋本英教さんは8年前、享年51歳。

まだまだこれからという時でした。
二人の無念を思うと、今でも胸が詰まります。
その思いを胸に、私と小野寺さんは、彼らの分まで微力を尽くしていこうと誓い合いました。

小野寺さんは現在、このたび初当選された若き代議士、米内紘正 衆議院議員の秘書として活動されています。

今回は久しぶりに小野寺さんとゆっくり話すことができました。
これまでの15年のこと。
そしてこれからの15年のこと。

まだまだ、故郷のためにできることがある。
そう語り合った再会となりました。

あの日の記憶を風化させてはなりません。
亡くなられた方々への哀悼の思いを胸に、
被災地のさらなる復興を願いながら、
私たちもまた、自らの立場でできることに全力を尽くしてまいります。

あの日を、忘れない。

 

 


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