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ダイエー成増跡地問題 続報

ダイエー問題 #ダイエー成増店閉店 の経緯 30年経過して地主である明治安田生命さんとダイエーとの契約が切れ、更新しなかった。 昨年12月31日で閉店。 地元商店街より地主である明治安田生命さんともう一人の土地所有者さん宛に、要望書を提出。 建て替えてマンションができるにしても、低層階は商業施設にしてほしい等を要望。 明治安田生命は、たいへん真摯に対応。マンションデベともそのような条件で、売却の交渉に入る。 2月時点では、マンションデベとの交渉が良い方向に進んでいた。 しかし4月になり、新型コロナの影響で、マンション開発を断念。 今のまま、新たなテナントを入れる方針に変更。 12月15日の説明会 閉店に伴い、通電を落とした。前回(7月)の説明では、 8、9月には受電予定だった。 再受電後、テナント希望者の内覧を行う予定だった。 しかし、高圧であり老朽化も進んでおり、一回止めると想像以上に時間がかかる。 ダイエー側で設備管理はやっていたので、新たな電気業者に依頼をしているがなかなか難しいかった。 現在、電気主任技術者は決まった。止めると劣化、サビがすごく、かなりの部分で更新が必要。 本受 […]

第三回「再開発ってなんでこんなに時間がかかるの? 上板橋駅南口駅前地区再開発」~本編トークサロン~

テーマ 「再開発ってなんでこんなに時間がかかるの? ~上板橋駅南口駅前地区再開発~」 Q.上板橋って、どんなところ? 江戸時代初期に板橋は下板橋村と上板橋村に分割。今の日大病院入口あたりから南には大谷口、向原、小茂根、江古田あたりまで。西には、弥生町、常盤台、東新町、桜川、上板橋の下練馬(現在の練馬区北町)の手前までが、上板橋でした。 旧川越街道の上板橋宿は石神井川にかかる下頭橋付近までをいうそうですので、最寄り駅は中板橋駅になりますが、東上線開業当初には、下板橋駅の次は、上板橋駅しかありませんでした。上板橋村の役場は東新町にある安養院さんの前の桜川いこいの家があるところに置かれていました。 昭和初期の川越街道の拡張工事の際に、上板橋村の飯島弥十郎村長の屋敷の樹を残すのを条件に土地を提供したということで、道路中央に「五本けやき」が今も残っています。 そんな上板橋ですが、じつは、城北地区の一大拠点ターミナル、「下北沢」あるいは「自由が丘」のようになっていたかもしれませんでした。それは、幻の「西板線」と「啓志線」・・・ いったいどんな過去が。 Q.昭和50年代からの懸案のまちづくり? 上板 […]

第三回 ~街歩き編⑧~ 上板 幻の啓志線・東上線構内

テーマ 「再開発ってなんでこんなに時間がかかるの? ~上板橋駅南口駅前地区再開発~」 Q.上板橋って、どんなところ? 江戸時代初期に板橋は下板橋村と上板橋村に分割。今の日大病院入口あたりから南には大谷口、向原、小茂根、江古田あたりまで。西には、弥生町、常盤台、東新町、桜川、上板橋の下練馬(現在の練馬区北町)の手前までが、上板橋でした。 旧川越街道の上板橋宿は石神井川にかかる下頭橋付近までをいうそうですので、最寄り駅は中板橋駅になりますが、東上線開業当初には、下板橋駅の次は、上板橋駅しかありませんでした。上板橋村の役場は東新町にある安養院さんの前の桜川いこいの家があるところに置かれていました。 昭和初期の川越街道の拡張工事の際に、上板橋村の飯島弥十郎村長の屋敷の樹を残すのを条件に土地を提供したということで、道路中央に「五本けやき」が今も残っています。 そんな上板橋ですが、じつは、城北地区の一大拠点ターミナル、「下北沢」あるいは「自由が丘」のようになっていたかもしれませんでした。それは、幻の「西板線」と「啓志線」・・・ いったいどんな過去が。 Q.昭和50年代からの懸案のまちづくり? 上板 […]

第三回 ~街歩き編⑦~ 上板南再開発 東街区・パチンコ店

テーマ 「再開発ってなんでこんなに時間がかかるの? ~上板橋駅南口駅前地区再開発~」 Q.上板橋って、どんなところ? 江戸時代初期に板橋は下板橋村と上板橋村に分割。今の日大病院入口あたりから南には大谷口、向原、小茂根、江古田あたりまで。西には、弥生町、常盤台、東新町、桜川、上板橋の下練馬(現在の練馬区北町)の手前までが、上板橋でした。 旧川越街道の上板橋宿は石神井川にかかる下頭橋付近までをいうそうですので、最寄り駅は中板橋駅になりますが、東上線開業当初には、下板橋駅の次は、上板橋駅しかありませんでした。上板橋村の役場は東新町にある安養院さんの前の桜川いこいの家があるところに置かれていました。 昭和初期の川越街道の拡張工事の際に、上板橋村の飯島弥十郎村長の屋敷の樹を残すのを条件に土地を提供したということで、道路中央に「五本けやき」が今も残っています。 そんな上板橋ですが、じつは、城北地区の一大拠点ターミナル、「下北沢」あるいは「自由が丘」のようになっていたかもしれませんでした。それは、幻の「西板線」と「啓志線」・・・ いったいどんな過去が。 Q.昭和50年代からの懸案のまちづくり? 上板 […]

第三回 ~街歩き編⑥~ 上板南再開発 中街区

テーマ 「再開発ってなんでこんなに時間がかかるの? ~上板橋駅南口駅前地区再開発~」 Q.上板橋って、どんなところ? 江戸時代初期に板橋は下板橋村と上板橋村に分割。今の日大病院入口あたりから南には大谷口、向原、小茂根、江古田あたりまで。西には、弥生町、常盤台、東新町、桜川、上板橋の下練馬(現在の練馬区北町)の手前までが、上板橋でした。 旧川越街道の上板橋宿は石神井川にかかる下頭橋付近までをいうそうですので、最寄り駅は中板橋駅になりますが、東上線開業当初には、下板橋駅の次は、上板橋駅しかありませんでした。上板橋村の役場は東新町にある安養院さんの前の桜川いこいの家があるところに置かれていました。 昭和初期の川越街道の拡張工事の際に、上板橋村の飯島弥十郎村長の屋敷の樹を残すのを条件に土地を提供したということで、道路中央に「五本けやき」が今も残っています。 そんな上板橋ですが、じつは、城北地区の一大拠点ターミナル、「下北沢」あるいは「自由が丘」のようになっていたかもしれませんでした。それは、幻の「西板線」と「啓志線」・・・ いったいどんな過去が。 Q.昭和50年代からの懸案のまちづくり? 上板 […]

第三回 ~街歩き編⑤~ 上板南再開発 準備組合事務所

テーマ 「再開発ってなんでこんなに時間がかかるの? ~上板橋駅南口駅前地区再開発~」 Q.上板橋って、どんなところ? 江戸時代初期に板橋は下板橋村と上板橋村に分割。今の日大病院入口あたりから南には大谷口、向原、小茂根、江古田あたりまで。西には、弥生町、常盤台、東新町、桜川、上板橋の下練馬(現在の練馬区北町)の手前までが、上板橋でした。 旧川越街道の上板橋宿は石神井川にかかる下頭橋付近までをいうそうですので、最寄り駅は中板橋駅になりますが、東上線開業当初には、下板橋駅の次は、上板橋駅しかありませんでした。上板橋村の役場は東新町にある安養院さんの前の桜川いこいの家があるところに置かれていました。 昭和初期の川越街道の拡張工事の際に、上板橋村の飯島弥十郎村長の屋敷の樹を残すのを条件に土地を提供したということで、道路中央に「五本けやき」が今も残っています。 そんな上板橋ですが、じつは、城北地区の一大拠点ターミナル、「下北沢」あるいは「自由が丘」のようになっていたかもしれませんでした。それは、幻の「西板線」と「啓志線」・・・ いったいどんな過去が。 Q.昭和50年代からの懸案のまちづくり? 上板 […]

第三回 ~街歩き編④~ 上板南再開発 まちづくり用地

Q.上板橋って、どんなところ? 江戸時代初期に板橋は下板橋村と上板橋村に分割。今の日大病院入口あたりから南には大谷口、向原、小茂根、江古田あたりまで。西には、弥生町、常盤台、東新町、桜川、上板橋の下練馬(現在の練馬区北町)の手前までが、上板橋でした。 旧川越街道の上板橋宿は石神井川にかかる下頭橋付近までをいうそうですので、最寄り駅は中板橋駅になりますが、東上線開業当初には、下板橋駅の次は、上板橋駅しかありませんでした。上板橋村の役場は東新町にある安養院さんの前の桜川いこいの家があるところに置かれていました。 昭和初期の川越街道の拡張工事の際に、上板橋村の飯島弥十郎村長の屋敷の樹を残すのを条件に土地を提供したということで、道路中央に「五本けやき」が今も残っています。 そんな上板橋ですが、じつは、城北地区の一大拠点ターミナル、「下北沢」あるいは「自由が丘」のようになっていたかもしれませんでした。それは、幻の「西板線」と「啓志線」・・・ いったいどんな過去が。 Q.昭和50年代からの懸案のまちづくり? 上板橋駅南口に住宅公団が大規模な敷地(5200平米)を取得。まちづくりを地域で考えるきっか […]